矢数道明先生顕彰碑

矢数道明先生は、平成14年(2002)10月21日に亡くなられた。波乱に満ちた98年のご生涯であった。没後の平成16年(2004)年に、関係団体が先生のご業績を称え、顕彰碑を建立した。その碑文を以下に紹介する。

矢数道明先生顕彰之碑

矢数道明先生揮毫
伝通院 平成16年10月10日建立

先生、姓は矢数、名は四郎、道明と号す。父辰之助、母すての四男として明治三十八年十二月七日、茨城県那珂郡大宮町に生まる。長兄格の命により漢方医学の継承を志し、昭和五年東京医学専門学校を卒業、森道伯並に兄格に師事、同年妻とりを娶る。八年、弟有道と四谷区箪笥町に温知堂医院を開設。十年、大塚敬節等と共に偕行学苑を組織し、拓殖大学に漢方講座を開講。十三年、東亜医学協会を結成し、機関誌東亜医学を発刊す。即ち漢方の臨床の前身なり。十五年、満州国民生部の招請により渡満し、漢方の有用性を主張す。十六年八月、陸軍に応招し、軍医として南方に出征、十七年九月、陸軍軍医少尉に任じ、現地の医療に挺身す。二十一年三月復員帰国し、大宮町に於て兄格と漢方診療に就くこと五年。二十五年、同志と共に日本東洋医学会を設立し、理事となる。二十六年、新宿区新小川町に温知堂矢数医院を開き終生の地とす。二十九年、東京医科大学薬理学教室に入りて烏頭附子の研究に従事し、三十四年、医学博士号を受く。同年、日本東洋医学会理事長に就任。四十三年には学会総会会長を務む。四十七年六月、北里研究所東洋医学総合研究所創設に及び研究員を兼ね、五十五年十月、大塚敬節初代所長の跡を継て第二代所長に就任し、その拡充に功あり。同年、日本漢方医学研究所理事長、同年、日本医師会より最高優功賞を授かる。五十六年、日本に於ける後世派医学史の研究により、慶應義塾大学より文学博士の称号を得。五十七年、日本東洋医学研究機関連絡協議会を組織し、会長に就任。六十一年、北里東医研所長の職を退くも、尚漢方界の最重鎮として後進を指導、生涯等身を越す書を著し学会を大に裨益す。平成十四年十月二十一日没。享年九十八。今先生三回忌に際し、関係団体、先生の偉業を顕彰せんと此の碑を建つ。

平成十六年十月十七日 顕彰委員会撰之

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